夜ごと空ごと
第四夜 草原

 長方形のテーブルを譲りうけた。80年代にスウェーデンでつくられたものらしく、私と同世代にあたる。
 車で運び、居間で組み立ててもらった。大きな板に脚をねじこんでひっくり返す。草原で馬が立ち上がったようで、ほうとため息が出た。うすい黄土色の毛並みが美しい。まわりにあった棚をどかして動きやすくした。
 このごろはずっと家にいるので三食ここでとる。皿を片づけたらノートパソコンを持ってきて仕事もする。隣の部屋の小さな机から移ってきただけなのに新鮮で、遊牧民の気分を味わう。
 ふつうのテーブルよりも少し高さがあって、向かっていると手足が宙に浮き、背筋が引っぱられる。これまで使っていたテーブルは低すぎて、椅子の上で背をまるめていたのに。床が急に遠くなった。
 山之口貘の「座蒲団」を思いだす。
 〈土の上には床がある/床の上には畳がある/畳の上にあるのが座蒲団で/その上にあるのが楽といふ〉……
 〈土の世界をはるかにみおろしてゐるやうに/住み馴れぬ世界がさびしいよ〉
 畳の上に座蒲団をしいただけで土を恋しがる貘。私なんか床の上に椅子を置いて高いテーブルを使ってようやくさびしいと気づいた。
 床はラグもしかずに板張りのままだ。いつも平気で寝そべっていたのが、なんだか地面に身を置いているようで急に落ちつかなくなった。目のまえに脚がのび、頭の上にテーブルが広がっていると、ここが地べたに見えてくる。馬とおなじ地平に這いつくばって、いまにも蹴りとばされそう。
 テーブルに向かう時間は日に日に増える。食事、仕事、読書、電話、そのつど座る向きを変えてみる。夜になると、一日をここで過ごした自分たちが席にあらわれて、一緒にテーブルを囲む。……今日はよかったね。うん、安心した。お疲れさま。
 あと50年は使えます、と譲ってくれた人に言われた。50年後に私が健在ならば、そのころには50年分の自分たちとテーブルを囲むようになっているかもしれない。
 いらなくなったらいつでも引き取りますとも言われたので、できるだけ丁寧に扱うように心がけている。拭いて、磨いて、くしけずる。いずれまた次の草原に放つ日まで。

illustration: Takafumi Sotoma