火を囲む

妖精の家

 妖精の家の話をしようと思う。
 特にたいした話じゃないんだけど。
 温泉街を抜け国道に出て、あと5分くらい歩いたかな。もう日が暮れてしまうし冷えてきたしで結構急ぎ足で歩いて、それで夕暮れの薄い闇の中にバス停を見つけて、ほっとして。その時古びたバス停の脇にそっと建っていたのがその小屋。てっきり休憩所か何かかと思った。で、時刻表を調べ、ちょっとひと休みと振り返って「えっ」ってなった。
 ちいさなちいさなすまいだったんだよ、そこ。
 ちいさいなりに古い商店みたいな佇まいの引き戸で、でもそれは開けっ放しで、覗いてみたら、ほの暗い明かりがゆれてて、狭い土間の向こうに、コタツやら背の低い茶箪笥やら、そのほか色々な生活用品が置かれた畳の間が見えて。
 それでコタツの中にね、布団を胸のあたりまで引っ張り上げたおじいさんがまるまってた。それから幼い女の子がひとり、寝そべって塗り絵かなんかをしていた。
 おじいさんと目が合って、
「ど、どうも」
「はいどうも」
 おじいさんもぺこりとした。
 でも土産物屋というわけでもなさそうだし。
 女の子は、ちょっと怪訝そうな顔で僕を見上げていたんだけど、するりとコタツを抜け出して、少々大きすぎる靴をつっかけ、バス停の所までやって来た。
「こらこら」
 おじいさんがコタツの中で笑ってた。
 で、かわいらしい妖精は手をさしだして、
「だっこ」
 って言った。
 抱き上げたらすぐに、靴はぽとんぽとんと落ちてしまった。
 彼女は土のかおりのするセーターを着て、あつぼったい茶色のズボンを履き、ほほを桃色にしてはなみずを垂らした、ほんとに魅力的な妖精だった。
 しっとりとした黒髪は、でも後ろの方がくしゃくしゃになっていた。
「何っていうお名前ですか?」
 温泉街の方を指差し、
「エミちゃん」
「ふーん、エミちゃんって言うの?」
「おともだちのいえ」
 僕の問いかけに答えているのかいないのか、そんなふうにぽつりぽつりとお話をしてくれた。そしてその話し声も、彼女のあたたかさもやわらかさも、僕を心地よい眠りに誘うようだった。
 このままずっとこうしていてねって、言われてるみたいだった。
 でも、ふっと目が覚めたよ。さっき彼女のかわいらしい指が差した、ちょうどY字に温泉街と離れて行く道の向こうに、ライトを灯したバスの影が見えて来たんだ。
「バスが来ちゃった。バイバイだね」
「いやだ」
「ダメダメ、バイバイだよ」
 僕は慌てて女の子をおろそうとした。
 その時、彼女が体をよじって、
「いたい」
 って言った。
 「えっ」
 今までとはうってかわって、なんだか大人びた響きだったんでびっくりした。
「いたい?」
 黙って僕を見つめてる。
 言ってしまったことを後悔しているような顔にも見えた。
「痛いの?」
 妖精君、僕は君を傷つけちゃったの?
 今度はそおっと、ひざの上で靴をはかせて、彼女がもと居た世界に着地するのを見届けた。
 しばらくは僕の手を握ってバスが近づくのを見ていたかな。で、ちょっと、空いている方の手でおなかをさすった。それでわかった。
「ああ、ごめんね。これがあたったんだね」
 その日僕は、大きなバックルのついたベルトをしていたので、その角があたったんだ。
 ひょっとしたらやわらかなおなかに、赤い痕をつけちゃったかもしれない。
 「痛いの?大丈夫?」
 って、もう一度聞いた。
 
 そのあとどうしたのかな。彼女は最後にもう一度だっこしてほしいってせがんで、おじいさんにしかられて、それで妖精の家の中へ帰って行っちゃったような気がする。バイバイはしてくれたかな。何故だかよく憶えていないんだ。
 その時にはもう、すっかり日が暮れてしまっていた。
 バス停にバスが止まり、ドアが開いて、整理券を取って乗り込んで。
 さあ、ふもとの駅へ。
 席に座って振り返ったら、窓の向こうに、ちいさくなって行く明かりだけ見えたよ。